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自己紹介


名前:Suni
生年月日:1979年3月10日
国籍:朝鮮→韓国
住所:フィリピンとマレーシアを行ったり来たり
生まれ:千葉県松戸市
職業:シンガポールHQ・フィリピンベースのスタートアップで、「夏休み最終日のお母さん」のようなプロマネ。Certified Scrum Masterでもあります。
趣味:スノーボード、でしたが南国に来て以来一度も雪山に行けてません。ほかにボディボードも。
結婚歴:2016年2月29日に入籍








自己紹介 Short version


日本生まれの在日朝鮮人として、自営業だけど(=「組織の人じゃない」と言いたい)北朝鮮にそれなりの忠誠心がある両親の元に生まれる。小学校から高校まで朝鮮学校にイヤイヤ通い、大学は日本の私大。

職歴は富士通に4年半、ヤフーに5年弱、頓智ドットに2年強、ちょっとニートを挟み、フィリピンのKDDIで2年弱、現職YOYOは3年目。
インターネット好きが高じて、ニート期間を除きずっとIT/Web業界で働いています。


自己紹介のLong versionは、講演履歴や執筆履歴の下にどうぞ!




講演履歴


ー YOYO・Quipper・Wantedly共催イベント
 「シリコンバレーはもう古い!? ~ アジアで働くエンジニアのオルタナティブな生き方」
(モデレーターとしての登壇)

当該イベントページ
ログミーその1
ログミーその2
ログミーその3
ログミーその4
ログミーその5


ー Schoolwit留学フェア 「フィリピン留学後のキャリアを語る!」

当該イベントページ
レアジョブによる講演記事
私の事後談


ー セブポット主催海外就職イベント
「これから海外で活躍したい女性へ、海外女子のライフ&ビジネススタイル」

・当該イベントページその1 その2
参加者のブログ


ー Visionaries Summit 2011
「ヤフーとセカイカメラによる東日本大震災写真保存記録プロジェクト」

当該イベントログ



執筆履歴


ー テクノロジー・スタートアップにフォーカスしたメディア「Techwave」のゲストライターとして

IVS Launch Pad準優勝のYOYOが「PopSlide」を多国展開へ、そして人材募集中
レアジョブ発、しゃべらなくていい英会話アプリ「Chatty」
「攻める体制が整った」東南アジアで新興国向けモバイルサービスを展開するYOYOが約1.3億円の資金調達を発表
日系スタートアップが東南アジアに挑む!ユナイテッドの子会社ADerLが提供する「DreamGiver」のユーザー数が公開7ヶ月で5万人突破



ー フリーペーパー「プライマー」内のコラム「フィリピンで働くキラキラ海外就職」

KDDIフィリピン 飯島悠(いいじま はるか)さん
野村総合研究所アジア・パシフィック マニラ支店 嶋田絵美(しまだ えみ)さん
CANON MARKETING (PHILIPPINES), INC. 川原田 麻美(かわはらだ あさみ)さん
株式会社ぐんぐん/ GnGn Eikaiwa Makati Inc. 岡田 裕史(おかだ ひろふみ)さん



英語学習口コミサービス「みんなの英語ひろば」にて「フィリピンx海外就職」を軸にした連載

第一回:32才からの英語学習と、34才からのフィリピン就職
第二回:入社時点のTOEIC平均点は675! フィリピンで働く日本人へのアンケート結果から考える、フィリピン就職に必要な英語力
第三回:採用する側から見た、フィリピン就職志望者に期待する英語力
第四回:事前に知っておきたい、海外就職の際に気をつけるべき5つのポイント
第五回:「海外にいただけのノースキル人材」になる前に考えておきたい、フィリピン就職の、その先は?



自己紹介 Long version


ここから先はお時間がある方向けの…とてつもなく長い自己紹介です。


−幼稚園生の頃

まわりの友だちはみんな「さくらいゆりこ」「しむらゆういち」と名前が6,7文字なのに自分だけ「かんすに」とたった4文字で、コンプレックスを覚える。小学校に入学して、理由を知る。


−小学校〜中学

親の方針で朝鮮学校に通う。学業優秀でスポーツ万能だったけど、こういう子ってよっぽどのモテキャラか日陰キャラだと思うんだけど、私は「やった〜また満点取った〜イェ〜イ」とかを露骨に表す子だったので、けっこう嫌われてた。こっちはこっちで「妬んでる暇があるなら勉強しろバーカ」と思ってて、ノート貸す相手はそれなりに選んでた。
そんな性悪な割りには、学校で習ったことはそのまま鵜呑みするタイプで、「朝鮮半島は95年に統一する」とか「『南朝鮮』のことを『韓国』と呼んではいけません」なんてのをバカ正直に信じていた。


−中3、北朝鮮に2ヶ月滞在の経緯

大晦日に北朝鮮は平壌で開催される金日成主宰の公演(以下、ソルマジ)のオーディションが、毎年秋にある。
ソルマジは、「そこそこ学業優秀で、何かしら芸(舞踊とか歌とか楽器とか)が秀でていて、親が総連系の仕事している人」しか行けないという通説があったけど、先生に言われて「どうせ無理っしょ」と思ったらオーディションに受かって北朝鮮に行くことに。
私みたいな、「親が総連系の仕事をしていない家の子」が選ばれるのは珍しいので「まぁ実力だよね」と余計に図に乗って、また学校で嫌われる。


−そして北朝鮮

目的は「大晦日に、金日成の前で公演」。

1993年11月下旬、(かの有名な)万景峰92号に乗って、新潟から北朝鮮の「元山」という港に。初めてのウリナラ。それまで「北朝鮮は世界で一番すごい国」と習ったのをそのまま信じていたのに憧れていた国はどこにもなく、当時14才の少女だった私は脳天に突き刺さるほどのショックを受ける。こんな国で2ヶ月生活するんだ〜と思ってちょっと気が遠くなる。

平壌に移動してからは練習漬けの毎日。ある日、滞在中のホテルから家に電話して、「オモニ(お母さん)、なんかさー、ウリナラ(北朝鮮)って、ハッキョ(学校)で習ったことと違うんだけどどーゆーこと?」というような話をしたら実は盗聴されていたらしく、翌日、引率の先生から説教を食らう。この事件と、「信じてたウリナラと違う!」ということもあり、以来、信じてたものへの不信感が芽生える。

まんなかにいるおじさんが金日成だよ!!
首の後ろのしこりがすごかっ…...あっ…

同世代の友だちと親元離れて暮らすのは楽しかったので、いい経験したとは思う。
それなりにハードな環境への耐性ついたしね。トイレ流れないとか、真冬なのにシャワーのお湯が出ないとかw

−朝鮮高校に進学

朝鮮高校に進学するのが憂鬱すぎて死にたかったけど、親に「朝鮮高校行かないなら家を出てけ」と言われて家を出る勇気も死ぬ勇気もなかったので泣く泣く進学する羽目に。
ただし、学校の成績がよかったおかげで、「高校卒業後は日本の大学行って医者か弁護士にでもなれば?」と。新しい選択肢が生まれる。
(ちなみに「医者か弁護士」は、学業優秀な在日だったら必ず誰かに言われるセリフ)
ソルマジのこともあり、「総連やウリハッキョなどの在日コミュニティ」への疑問がふつふつと湧き上がっていたので、日本の大学への進学を真剣に考え始める。

学校の先生から「ソルマジ組は将来は朝鮮大学校に行って、組織の仕事するか先生になってウリナラに貢献するのよね?」みたいなプレッシャーを受けたけど、「ソルマジ組全員がそれだったら組織は発展しない。ご存知の通り私は成績もそこそこいいので日本の大学に行って、日本社会に飛び出して外から在日を支えたい」適当なことを言って回避する

とはいえ日本の大学に進学するのもハードルがいろいろあって、私が通っていた朝鮮高校は日本の法律では各種学校扱い。大学の受験資格がないので、高校入学と同時に、都立上野高校の通信制にも通い始める。いわゆるダブルスクール。夏休みには大検も受ける。


−制服がとにかくイヤだった

通学時にチマチョゴリを着るのがとにかくイヤで、家から学校の最寄り駅まではスカートとブラウスで、駅のトイレで着替えてた。
なんで女子生徒にだけあんな格好させるんだろう。だったら男子生徒も民族衣装着させるか、先生たちだって民族衣装で通勤すべきなんじゃないか?
とにかく朝鮮学校のよくわからない方針が大嫌いだった。


−マクドナルドでバイトを始める

親が全然お小遣いをくれなくてツラいので、学校に内緒でバイトを始める。マックを選んだ理由は「1日2時間からOK、時間も1周間単位で決められる」から。バイト始めるまでは「日本人怖いかもー差別されたらどうしよー」と思ってたけど、そんなことよりも生活に困ってた。だってお小遣いくれないんだもん。そうそう、学校で習ってたほど日本人は怖くなかった。朝鮮学校に対する不信感が益々募り、「絶対に日本の大学に行くぞ」と心を新たにする。

高2の冬からSTARというタイトルで普通の子とは違う制服着て働いてた。
接客の才能あったかもね〜。

−学校の世界史と塾の世界史が違う!

高2からは塾に通い始める。朝鮮学校で習っていた世界史と塾の世界史が全然違くて、ショックを受ける。塾の先生に「習ってた歴史と違うから全然わかんない」と泣き言を言うと、「歴史なんて国のプロパガンダ。力のある国が言う歴史が『歴史』なんだよ。そういう意味で、両方の立場で物事を見れるのはいい経験かもしれない。ただし、受験のためには、大変だろうけど塾の世界史をがんばらなければいけない。」などと諭され、いろんな意味で悟りを得る。


−将来はシステムエンジニアが向いてるんじゃない?

物理の先生から、「あなたは理系脳だわね、システムエンジニアが向いてるんじゃない?」と言われ、その頃はパソコンは情報処理の授業で触るもの、としか思ってなかったんだけど、なんとなくパソコンを触る仕事に就きたいとぼんやり考え始める。


−推薦入試

「6大学受けようかな〜家からの距離考えたら明治か法政だよね〜」とぼんやり考えてたんだけど、親からいきなり「受験料は1校分しか出さない」と言われ、一般入試でそんなバクチ打ちたくないと思い、推薦入学へと舵を切り替える。
同時に、「実家から通える範囲で、朝鮮学校の生徒を推薦で受け入れてくれる学校」を探し始める。授業の休み時間に学校の外の公衆電話から大学に電話して聞いてみたり。ちなみに朝鮮高校の先生は受験には協力的ではなかった(今はどうか知らん)。
本当はSFCを受験したかったんだけど(先輩たちもかなりの確率で合格してたし)、SFCは家から片道4時間かかるし、通うのはさすがに無理、一人暮らしさせる余裕はウチにはない、じゃぁ仕方ないか、と「外国人推薦枠」がある「神奈川大学経済学部貿易学科」を受けることに。学校の先生には、「総連と朝鮮学校を、日本社会の立場から守れる人材になりたいんです」と言い繕ってなんとか内申書を書いてもらう。

推薦入試は英語、国語、論文、面接。難なくパス。
合格通知が封書で届いたので、「合格者の受験番号が貼りだされて自分の番号を必死に探す」という経験ができなかったのが心残り。

−大学

1997年4月から、晴れて大学生。
「いつでもどこでも日本語、周りはどこを見ても日本人ばかり、日本語しゃべっても怒られない!」という環境に若干戸惑うも、すぐ馴染む。
大学に片道2時間かけて通い、なのにあまり授業には出ずに、コンピュータールームに篭ってパソコンと戯れる。あげくのはてに情報処理の授業の補助員のバイトをやるようになる。ちなみに当時、学校のパソコンは教授の趣味でNEXT。普通の人に「Windows」と言われてもなんのことだかさっぱりわからなかった。
にも関わらず、就職するなら技術系の仕事だよな〜と本気で考え始める。裏には、「ITなら国籍で引っかかることはないだろう」という目論見がなかった訳ではない。必死にお金を貯めて、Gatewayのデスクトップパソコンを買った。

−就活

3年の秋、就活スタート。ギャグでテレビ局の総合職にアプライし、TBS日テレがESを通過。TBSは面接で落ちて、日テレは面接をパスして筆記試験に進むも、英語が難しくて全然解けずにまんまと落ち、世間の厳しさを知る。仕方なく就活に本腰を入れるようになる。ゼミの先輩が入社した会社を受け、無事内定をもらう。


−1社目

SEの部署に配属され、流通系のお客さんを担当することに。
同期、仕事に恵まれ、忙しくも楽しく過ごす。と同時に「在日でも、ちゃんとやってれば普通にみんな認めてくれる」ということを知る。ウリハッキョの呪縛って怖いな、と思う。

−国籍を韓国に変える

「GO」の小説と映画に出会い、「広い世界を見ろ。そして自分で決めろ。」という言葉に感化され、国籍を韓国に変えようか真剣に考え始める。ちなみに親の存在がネック(親は国籍変えるの大反対)だったけど、韓国大使館に問い合わせたら「親が変えてなくても自分単体で変えられるし戸籍も作れる」と知り、最終的には親に内緒で変える。
ちなみに国籍変更だけなら3週間くらいであっけなく終わる。あっけなさすぎて実感がなかった。
半年後、パスポートを無事ゲットして、「これで世界の(ほぼ)どこにでも行ける」と号泣。

「家族の中で自分だけ国籍が違う」っていうことがちょっとだけ不安だったけど、不便は特になかった。



−2社目

2005年に、Web、もっと言うとブログの仕事がしたくてヤフーに転職し、無事ブログのチームに配属される。当時のYahoo!ブログはお客様からの評判は悪いし、社内でも「あんなクソサービスやめちまえ」「火中の栗を拾いに行くようなモンだねぇ」「貧乏くじひいたねぇ」と散々言われたけど、楽しかったのであまり気にせずにマイペースで働く。Web of the Year2007のブログ部門で1位を獲得し、ユーザー数、PVも順調に伸びていたおかげで、社内で少しずつ日向扱いになる。


…んだけど、だんだんヤフーに行き詰まりも感じて(今の宮坂体制に変わる前の話)、上司も転職してって、私もうっかり予想外の部署に異動することになり(FA制度で違う部署にアプライしたんだけどね…なぜこうなったんだ…)、ヤフーOBとの飲み会で「占いとかゲームとかマジで興味ないんですよねー」と言ったところ、「じゃぁウチ来れば?」と言われて人生の岐路を迎える。あの異動がなかったら、私は今でもヤフーで働いているかもしれない。人生何が起こるかわからないね。

−3社目

その「ウチ来れば?」の人の会社、頓智ドットに転職。プロマネ職での転職のはずが、入社日前日に「もうすでに一人、プロマネ職を採用しちゃったんだよね」と言われ、途方に暮れる。人が足りてないポジションってなんですか?と聞き、イメージ的に華やかそうな広報をやってみることになる。広報・マーケって向いてるかも、楽しいな、と思いつつ、2012年の頭からは営業もやることになる。

ネットには書けないいろいろなことがあり、個人的に「勉強がしたい」という欲求もあったので、大学院進学を考え始める。目指すはアメリカかイギリス。何が必要だ?そりゃ英語だろ、ということで英会話にも通い始める

仕事とは関係ないけど、会社を通じてしったIVSというイベントに、ボランティスタッフで関わるようになる。半年に一度自分を振り返る機会でもあり、「こんな若い優秀な人が多いなら日本も全然余裕じゃん」と思ったり、「逆に5年後10年後、この業界に自分の居場所がなくなるかも」なんてことも考えたりするようになる。

−過労

多くの方がご存知の通り、過労によるドクターストップのため、2012年10月に退職
本当はドクターストップが出る直前に、ある会社の最終面接も終わってたんだけど、状況が状況で医者からも止められたので最終結果出る前にごめんなさいした。

−ニート

夢が叶ってニートだよ!
なんて呑気な日もあれば将来を憂えたりもしたねー。
大学院に行きたくて貯金を続けていたけど、ニートになって金輪際貯金もできないことになり、ものすごく悩んだ結果大学院進学は諦める。その変わり、「英語留学なら今の貯金でも全然余裕」と思って、11月にセブ、年明けて1、2月にロンドンにそれぞれ語学留学。

ロンドン行く前になんとなく予感があったのか、「いつかどうせ日本離れるだろうし」と車を売る。さよならした日はさすがに号泣した。


ロンドン留学のついでに、クロアチア・ハンガリー・イタリア・アメリカ・メキシコ・キューバを旅する。ニート時代のいい思い出である。

−セブ再留学

4月下旬から6月中旬まで約2ヶ月
最初の印象がよすぎたのか、2回目のセブはさほど新鮮なイメージはなく、就活するつもりで来てたこともありあまり遊ばずに真面目に過ごす。いや、適度に遊んでた。毎週マッサージ行ってたね。

6月に内定が出て、7月からフィリピンで働くことに。

−4社目

2013年7月からKDDIフィリピンで、SEという肩書で「なんでも屋」を。仕事内容を説明するときは『夏休み最終日のお母さん』とよく表現していました。
入社半年で、試用期間が終わった瞬間にリーダーに登用されて「なんて無茶ぶりな…」とも思ったけど、フィリピン人の部下を持つという経験もなかなかできないし、まぁなんとかなっていたと思う。
自分のキャリア的に「ずっとSIerではない」と思ってはいて、どうしようかな…と思っていた矢先に「やりたいことをやろう」と思う出来事があって、まぁぶっちゃけると「そろそろどうよ?」ってお声掛けいただいたこともあり、転職を決めた。

−5社目

2014年4月から、YOYO Holdingsというスタートアップで働いています。
「新興国の10億人にモバイル・インターネットを」というビジョンをかかげ、ロックスクリーンアプリ「PopSlide」を提供しています。

「インターネット」「スタートアップ」という環境が久々で、毎日がまるでジェットコースター。日本人、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、インド人、韓国人(私)という国際色豊かな環境で、様々な国の文化に触れつつ楽しく働いています。

私の仕事は、開発案件のプロマネ…というよりは、「夏休み最終日のお母さん」。
結局どこにいてもお母さんですね。
スケジュール管理、フォローアップ、調整、交渉、バグ出しなどなど、なんでも屋さんです。

だったのが、
2015年10月から開発プロセスにScrumを導入して以降はうっすらぼんやりScrum Master的な動き方をしていて、2016年9月にはCertified Scrum Masterという資格を取りました。
(久々にめっちゃ勉強したよね)

会社でのスタンスとしては、
「攻撃はCxO、守備は私」
みたいな感じかな。


−そういえば結婚した


遠距離恋愛だったジャカルタ氏と結婚することになり、氏はマニラに転職&移住する運びとなりました。

−そして別居婚


1年ほど新婚生活を送っていましたが、なんと夫がクアラルンプールで働くことになり、キャリアと家庭で揺れる乙女ゴコロです。
そのあたりの葛藤はここに書いています

いったん、「YOYOで働き続ける」という選択をしました。

選んだからには、その判断を後悔しないように生きていかなきゃ。


で、すったもんだありましたが、奇跡的に妊娠しまして、2017年7月現在、4ヶ月です。
2018年1月に出産予定😊


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