2011年3月21日月曜日

出張メモ:アメリカ出国から日本入国まで

ここに書いた通り「あー私日本人だよなー」と自覚しつつも、書面上は日本人じゃないワケで。

以下、現地時間3月18日のお話。

■オースティン空港、チェックインカウンター
係員:日本のビザは?(もちろん英語)
私:えっ日本のビザ?あーえーっと、、、(外国人登録証明書を出して)これ…ああああ日本語しか書いてない−!
係員:??
私:◯×※▽■(混乱中)
Aki氏:彼女は日本の永住権を持っています(英語…でたぶんこう言ってくれたんだと思う)
係員:OK

Aki氏のおかげで無事オースティンで飛行機に乗れました。
次に旅するときは、この手の英語も言えるようにならなきゃな…と思ったんだけど、次の旅どころかヒューストンでまた事件発生。


■ヒューストン空港、搭乗カウンター
事前にパスポートの確認が必要とのことで、一人でテクテク向かう。
私:…(無言でパスポートを差し出す)
係員A:最終到着地は韓国?(英語)
私:(隣の人と日本語でやりとりしてた&ネームプレート的に日本人だったので)いえ、日本です。
係員A:ビザは?(英語)
私:永住権あります。(と、外国人登録証明書を差し出す)(日本語)
係員A:期限切れてるわよ、ダメ。(英語)
私:えっ?いや、あの、ここ読んでください、2011年3月10日から30日以内って書いてます。それに、更新の通知が来るのは誕生日以降なんです。誕生日以降じゃないと更新できないし、誕生日以降30日間は、この状態で持っていても問題ないんです。(日本語)
係員A:ダメなものはダメよ。期限切れてるのよ。(英語)
私:プギャー(心の叫び)

実際の外登がこちら…
いちおう、番号と富士通の女子寮の住所は伏せときますが…


このやりとりを見ていた隣の係員が助け舟を出す。

係員B:見せて(英語)
係員A:(無言で差し出す)
係員B:あら、ノープロブレムじゃない(英語)
係員A:でも期限切れてるのよ。3月10日は過ぎてるのよ。(英語)
係員B:切れないわよ。3月10日から30日以内って書いてるじゃない。ノープロブレム。(英語)
係員A:(なんか腑に落ちない様子ながら)わかったわ(英語)


よかった…
まさかこんなところで足止め食らいそうになるとは思いもよらず、かなり焦りました。
係員Bが助けてくれなかったらどうなってたんだろう…orz

過去にグアムでもバリでもこういうトラブルがなかったので、想定外でした。

日本語話せるはずの相手だったとはいえ、英語でちゃんと言えるようにならないとなぁ…



■成田空港 入国ゲート
入国ゲートって、「日本人+特別永住者」枠と、「外国人」枠があるんですよね。
(昔は、「日本人」枠と「外国人」枠だった)
手前の「日本人+特別永住者」枠の列に並んでたんだけど、奥の「外国人」の列がスカスカだったので、そっちに並び直し…たら、

係員:あの…こちらは日本人の方は…
私:あ、外人でーす(パスポート見せる)
係員:あ、そうなんですね、どうぞどうぞ

いやー日本人は丁寧だわ…

日本の温もりを感じました。
ありがとう日本。
ただいま日本。

出張メモ:このあと書こうと思っているテーマまとめ

日々のhogehogeを書き連ねるのも芸がないし、会社向けにちゃんとした報告もちゃんとまとめようとも思っているのですが、ブログには以下なカンジで時間がある時にざっくりとまとめていこう…と思っています。


・domoの話
・Help Save Japanの話
・現地で出会った人々と音楽
・食べたもののログ
・アメリカ出国の話


あ、たぶん、アメリカ出国の話は今書く。


以下は自分用備忘録。
ツイートのソースを取得するのはここ。
http://media.twitter.com/blackbird-pie/

2011年3月11日から12日 東日本大震災を成田空港で被災した話の後編


これの続きです。成田空港で被災してから、出張先であるアメリカのオースティン到着までの話。



何もなければ11日の午後5時10分の便に乗っているはずでしたが、いろいろあって空港近くのホテルに泊まることになり、12日はホテルで朝食。




アンドロメダ!?
地震以降、初めて笑った気がする。

2011年3月19日土曜日

帰国した

成田スカイアクセスで東松戸に行き、そこからタクシーで自宅に戻りました。


上本郷駅、エスカレーターが普通に動いていて、面食らいました。

ガソリンスタンドはどこもクローズ。
この様子だと、しばらくは運転できないかもな。

自宅と庭の物置は、出発前とほとんど変わらない状態です。

自室が、一部棚のものが下に置かれている状態ですが、たぶん地震で散乱したものを母が綺麗にまとめてくれたんだと思います。

荷物と部屋を片付けて洗濯済ませたら、親の店に顔出しますわ。

不在時にいただいていた連絡の返事などはまたのちほど。

2011年3月18日金曜日

水没したiPhone3GSの救済方法

水没したiPhone3GS復活したっぽいです。
そこで、備忘録がてら私の経験談を書いておきます。
この方法で必ず元に戻るとは限らない…と思います。

お試しの際は自己判断で。

0.iPhoneが水没する。
※私の場合は、洗面所にはった水にポロリ。

1.そっこー水から救い出す。

2.タオルなどでふく。

3.ひたすら、外の水分をふく。

4.ドライヤーを当ててみる。たぶん高温だったはず。

5.一日、常温に放置。
※ネットで調べると「乾燥剤と一緒にジップロック」「米と一緒にジップロック」とか書いてあるんだけど、ここはアメリカのホテル。そんな便利なモノは手に入らない

6.冷蔵庫に投入。
※さる情報筋より、「冷蔵庫にいれとくといいよ」という情報を得た

7.二日間放置。

8.USBケーブルでPCとつなげて充電




そしたらですねー
iTunesとシンクし始めたんですよ。
これは、データは生きてるな、って思って、
"Addressbook.app"で電話帳を吸い上げ、
"iPhoneExplorer.app"で画像を無事吸い上げられたのでした。

でもホームボタンなどを押しても、画面はずっと黒いまま。
画面がイッちゃったかなーとふと覗き込んだら、
「メールが来てます」画面がうっすら見える。
生きてるかも!?

照度を変えたら、画面が明るくなりました(今思うと当たり前)。


というわけで、iPhone3GS、復活。


ちゃんちゃん。


徹夜で朝(オースティン時間で朝の6時ちょいすぎ)を迎えました。

今からホテルを出て、帰ります。
超眠い。

2011年3月15日火曜日

iPhone3GS水没

海外旅行中の洗濯はしない派なのですが(そこに時間費やすくらいなら寝たい派なので、基本的に着替えも下着もフル日程分持っていく)、cw-xだけは予備がなく、行きに二日間着っぱなしなので、洗面所で洗濯していまして。

脇に置いてたiPhoneも一緒に洗面所に投入してしまいました。

慌ててSIM抜いて放置してますが、たぶん無理だと思うので、リカバらなかったらこの際iPhoneを手放そうと思っています。

Andoridあるしね。

2011年3月14日月曜日

Identity

とっとと寝ろっつー話なんですけど、ほんとにほんとに、こっち時間の朝4時までには寝ます。

今回の地震の後のいろいろな感情の起伏の中で自分でもビックリしたことがあって、今までかたくなに否定していたんだけど、

「私、日本人だ」

と思うようになりました。

たぶん第三者は「だからそうだっつってんじゃん」って言うと思うんですけど、自分でそう思うか否かは別の話。

人との世間話の中で適当に話を合わせるために「まぁ日本人だしー」という事はあっても、自らそう思うことは一度もなかった。


だからと言って自分の今までを否定するつもりはなく、生みの親と育ての親がいて、両方に感謝と愛情がある、っていうカンジかな?
お母さんがリアルで二人いるわけじゃないからわからないけど。

あーやっとスッキリした。

2011年3月11日(金) 午後2時46分 東日本大震災を成田空港で被災した話の前編


東日本大震災の、成田空港での被災体験について書きます。


当時、東京のベンチャー企業で広報として働いていた私は、SXSWというイベントで自社アプリをプロモーションするため、2011年3月11日の午後5時10分の飛行機でアメリカに行く予定でした。


一緒に行く先輩たちと午後3時に待ち合わせていた私は、ちょっと早めに着いて、成田空港第一ターミナル、南ウィング4Fの出発ロビーの、出口付近のベンチに腰掛けながら、たまたま同じ時間に空港にいた前職後輩とTwitterでやりとりしていました。


で、午後2時46分のツイートがこれ。
揺れる直前です。





これをツイートした直後に、揺れ始めました。






ベンチに座っていたから立っていた人ほどは震動の衝撃をうけていないのかもしれないけど、右と真後ろがガラスだったからか、出入口が近いからか、、、地面が揺れるような音と、建物が揺れるような音と、いろいろなものがきしむ音が聞こえ、ふと「ここで死んだら遺体の発掘が大変そう」と思ったので出口へダッシュ。


しかし出口が大混乱。


なんと、


自動ドアが開かなくて、外に出られない!


そして自動ドア付近が大混乱。


前は詰まってるし、後ろからいろんな人に押されるし、四方八方でキャーキャー聞こえるし、外はすぐそこなのに出られないと思うと恐怖が倍増。
あげく、スーツを着たビジネスマン風の男性が、ゼロハリバートンのようなアタッシュケースでガラスをガッコンガッコン殴ってて、でも全然割れません。

(あとで聞いたんですが、空港ってかなり頑丈に作られているみたいで、アタッシュケースで殴るくらいじゃガラスドアは割れないんだそうです)


どこからか空港職員が走ってきて、人垣を分けて…というか足元から奥の方に行き、鍵を挿して手動であけてくれました。


この時、何かがぶつかったらしく、右手の人差し指を負傷しました。
(私はガラス殴ってませんよ)






みんなで外で様子見…





しばらくしたら、「安全確認が取れたので、中にどうぞ」と。
で、一緒に行く先輩と合流できて、「いやーマジでビックリしましたねぇ」「俺、海外旅行保険の申し込みしてて、そしたら揺れてさー」みたいな話をしながらコンチネンタル航空のチェックインの列に並んでいたんですけれども、



そしたらまた大きな揺れ…



チェックインカウンターの上、天井からぶら下がっている「D」とか「F」みたいなのがグワングワン揺れてるんですよ。
先輩と二人でしゃがみこんで、しばらくゆれが収まるのを待ちました。



地震に慣れていない外人さんがしゃがみこんで立てなくなっていたりワンワン泣いているのを見て、「怖さ倍増だなぁ…」と思いました。



で、もうひとりの同僚と合流し、三人(私とTommy氏とAki氏)で空港脇の駐車場に一時避難することに。

空港スタッフから「駐車場に!」と誘導されたとき、「カートは置いてってください!」と叫ばれたので、荷物は泣く泣く置いていきました。
Tommy氏はスポーツバッグ1つだけで預入荷物はないとのこと。Aki氏はすでにチェックイン済みで、預入荷物はすでに預けていたようです。



話をもとに戻して、午後3時半頃。




今思うと、この時が精神的に一番キツかったです。

・このまま飛行機が飛ばなかったらどうしよう
・このままずっとここにいることになったらどうしよう
・ていうか寒い(オースティン行きに備え、薄着で着てたのと、コートはスーツケースの中、スーツケースはカートと共に空港4Fに置きっぱなし)


午後4時頃のツイート。





空港で働いている友だちがいて、その人から


・滑走路が一部割れている。


という情報も得ました。



うむむ…先行き暗い…




ふと思い立ち、親に電話。携帯は繋がらない。ダメ元で店の固定電話にかけてみました。



私:もしもし?オモニ?
相手:・・・
私:オモニ?アボジ?
相手:・・・ツーッツーッ



えええええええええ






店がグチャグチャで息絶ええてるんじゃないかとかあらぬ心配をしてまたかけたら、フツーにオモニが出ました。



私:オモニー!
母:あらー!あなたどこにいるの?飛行機は?
私:まだ成田空港、飛行機どうなるかわからない。店は大丈夫??(焦って超早口)
母:んもー大変よぉ〜〜グラスとかいろいろ割れちゃって…冷蔵庫も壊れちゃって…水道管も破裂して…
私:えええええ(涙



店が営業できなくなったら我が家はどうなるのぉー(号泣



そうこうしているうちに、空港ターミナルの1Fが、安全確認が取れたとかで開放されたので、午後5時頃、一旦中に入ることができました。





妹(coffee_bistro)と連絡とりつつ、ANAのカウンターで情報を仕入れつつ、トイレは50人待ち。プギャー。






そしてセルカン氏とも無事合流。

この時点で午後6時。成田空港にいたままじゃ、食料も調達できない、このままここで夜を明かすのか?どうするのか?と4人で協議していたら、overlast氏かnokuno氏のツイートで、成田空港にいたはずの彼らが夜ご飯を食べてることを知りました。
(二人は前職の後輩。たまたまおなじタイミングで成田空港にいた)



これはDMのやりとり。

私:どうやって行くの?(行き方を知りたかった)
overlast:歩きで


ちがーう!行き方を知りたかったのー!と思いつつも、調べりゃいっか、と調べ、徒歩10分圏内ということがわかり、「こちらへどうぞ〜、ご飯食べれますよ」という言葉もあり、4人で移動することに。


そして午後7時頃。










実は前職時代はほとんど面識なくて、とある社内イベントで会ったことはあるんだけどほとんど顔がわからなかったんですよね。
まともに会話するのはこの時初めて。
でもなんかホッとしてねぇ。涙がこぼれました。



彼らと情報交換しつつ、私たち4人は運良くまともなご飯を食べることができました。



夜9時。成田空港のサイトを調べていたら、私たちが乗る予定の便が「欠航」扱いになったことが判明。





代わりの便は?12日の便に乗れたりするのかな?
羽田発でもいいし、ヒューストン経由じゃなくてもいい。なんとかオースティンにたどり着く方法はないか?
ってのを、会社の上層部が調べてくれることになったので、現場の私たちは一旦情報収集しに成田空港へ。



22時頃。











ちなみにAki氏とSerkan氏はすでにチェックイン済みで荷物も預けっぱなしだったんだけど、預けているのである意味無事な状態。


私のカートは、置いた時のまま残っていました。さすが日本。




成田空港に来てみたものの、空港スタッフに聞いても「わからない」「各航空会社に問い合わせて」というスタンス。
(今となっては「そりゃそうだよね」って感じなんだけど、当時は切羽詰まってたので)



コンチネンタル航空のスタッフは探しても見当たらず。
明朝電話するしかないかな…


そんなことを思いながら南ウィングの1Fを歩いていたらなんと。
成田空港で働く友人(👆に書いた人とは別)と感動の再会。





ホント、嬉しかったんですよ。
私のせいで怒られることになってしまい、先輩すいません…



いつどうなっても(代わりの便が飛ぶなどの情報を得られるよう)いいように、成田空港で夜を明かすか…という覚悟で、電源の近くに場所を取り、あれこれ手持ちのアイテムを充電し始めたら、Tommy氏が成田エアポートレストハウスで部屋をゲットできたので、一旦ホテルへ戻りました。


実は、食事しに行った際に空き状況を聞いたら「満室」と言われていたんですね。
ところがこの震災で「海外から成田に向かうフライトが他の地方にダイバートすることになった」「翌日に備えて前泊するはずの人が、交通機関の混乱のためここまでこれなくなった」などの理由でキャンセルが出たみたいなんです。
3人部屋だったんですが、エクストラベッドを入れてもらい、4人で泊まれることになりました。
ありがたや…



なんとかちゃんとした寝床を確保できたのは、かなり幸運だったと思います。


ホテルの部屋で改めてコンチネンタル航空のサイトを調べると、私たちが乗る予定の便は12日に振り替えになるっぽいことが判明。

「アメリカに行けそう」と安心しつつも、寝ようとするんですが…



朝4時頃。




何度もやってくる余震が怖かったし、せっかくの出張に行けなくなったらどうしよう、とか、実家は大丈夫なんだろうかとか、いろいろ考えてしまい眠れませんでした。
部屋には風呂もあるけど、風呂入る気分でもないし、もしまた大きな地震が来たら…と思うと、着替える気にもなりませんでした。




そしてほとんど眠れないまま朝を迎えました。


続きはこちら。

2011年3月11日から12日 東日本大震災を成田空港で被災した話の後編



2011年3月11日金曜日

チャンゴを借りた

SXSWにチャンゴ(朝鮮半島の打楽器)を持って行くか数日悶々としたまま出張前夜を迎えてしまった訳ですが、夜中のメールで「やっぱ持って行こう」と思い立ち、今日の11時頃に無事借りることができました。

まさに「ベンチャーならではのスピード感」ですね(・∀・)

※というよりは私がとっとと動かなかっただけ

貸してくれたのは、東葛支部って呼ばれている、いわゆる総連系の拠点。
オモニが朝イチでここの女盟委員長に電話したら、あっさり貸してくれることになりました。

ありがたや。

久々に聞く女盟委員長の在日ハングルに懐かしさを覚えながら、肩でしょう用の帯を結び、家でチャンゴの叩き方やチャンダンの感覚を少し思い出して、家を後にしました。

※ヨルチェとかクングルチェ(ドラムで言うとスティック)とか、すっごく久々に思い出した。
ちなみにどっちがどっちだか、覚えてないw

あとは、機内に持ち込めるかどうか、だな、、、、、
預けたくはないんだよね、、、、、

なんとかなりますように。

アメリカ出張!

11日から19日までアメリカ出張です。SXSWですね。

12日(CST)の夜には現地でyobongoとかとパーティ
14日〜17日はトレードショー出展、
14日にはJapanese Mobile Leaders Forum
16日にはSXSW Technology Summit

他にもまぁいろいろありますが、がんばってきます。


アメリカを「敵」とか「米帝」とか「米帝国主義」と習い、「주체조선을 위하여 항상 배우며 준비하자!」「항상 준비!!」(痛いから韓国語で失礼)と敬礼していた(させられていた)小学生の私に、

「そんなことないよ(・∀・)」

と教えてあげたいし、

高校生の頃、アメリカのビザが降りなくて留学を断念した友だちに、

「もうちょっと待てば、時代がよくなるよ」

と言ってあげたい。


ほんと、時代が変わりましたねー。


まぁとにもかくにも、人生でこんな日が来るとは、学生時代は思ってもいませんでした。


と、これだけ出身学校をDisっといてナンですが、
どこかでチャンゴを手配できないか、親と真剣に協議中。

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